2015年2月24日火曜日

ルワンダの善人(後)

ムバイェ大尉(BBC World Serviceから)



ムバイェ・ディアニュ大尉(Capt Mbaye Diagne)を知っていますか?たぶん知らないと思います.
ルワンダの善人(前) でルワンダの話をしたのは, BBCのニュースA good main in Rwandaを読み,ほとんど知られていない英雄を知ってもらいたいと思ったためです.
ケーブルやスカパーでも放送されてたようです(自分は見てない).


ムバイェ大尉はセネガル軍の士官で,国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)の派遣員として任務についていました.
UNAMIRは政府と,反政府軍(RPF) の間で結ばれた休戦協定を監視,治安の維持をするために派遣された平和維持軍です.
しかし,任務の割に不十分な装備,人員,政治的な束縛の結果,後の虐殺を防ぐことが出来ませんでした.

1994年4月のハビャリマナ大統領の暗殺が起こり,軍部とフツ過激派,フツ系の与党,大統領夫人のグループ,民兵集団などが権力を握る,混沌とした状況,そして虐殺が始まります.

多数派フツ族の穏健派であったウィリンジイマナ(Uwilingiyimana)首相も白昼堂々,暗殺されてしまいます.
UNAMIRは首相の家族を発見するのですが,家族を保護する”マンデート”※1の有無と,安全面の心配から,保護すべきか議論されました.

残していけば殺されるであろう家族を前にして,何を呑気なと思うかもしれませんが,首相の暗殺時にUNAMIRのベルギー兵士も悲惨な拷問の末※2に殺されており,他にも保護すべき人々がいる緊迫した状況だったことも考慮する必要があります.

ムバイェ大尉はこの時,非武装だったにもかかわらず,自分の車に家族を乗せ,避難所――ホテル・ルワンダの舞台,オテル・デ・ミル・コリン――まで無事に保護しました.
 

この他にも,100日間の虐殺の間に,ムバイェ大尉が救った命は400から1000人以上とも言われています.
ホテル・ルワンダのルセサバギナ氏と同じくらい沢山の人を助けたことになるのですが,大きな違いが一つ.
ルセサバギナ氏は生き残りましたが,ムバイェ大尉は任務の途中で砲撃により殉職してしまいました.
隣人同士が殺し合い,国際社会は知らんふりを決め込む,善や正義の存在を疑わざるを得ない状況下においても,ムバイェ大尉のような人物がいたことは,仄かな希望と言えるでしょう.



※1: 国連活動において,許されたor与えられた権限
※2: 性器を切断され,口に押し込められたとか

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